- 記事の執筆者:久留米リハビリテーション学院 教務部長 大坪健一
- 記事の監修者:久留米リハビリテーション学院 作業療法学科 学科長 岡 大樹
重度の感覚障害を呈したAさんとの衝撃的な出会い
作業療法初日、脳出血で入院された60代の男性Aさんのベッドサイドを訪れた私は目を疑いました。横向きに寝ていたAさんは自分の右手をベッド柵にひっかけたまま、反対側をむいて眠っていたのです。肩が無理な方向に引っ張られて脱臼しかかっているのに全く気が付いていないその様子は、感覚障害が重度であることを示していました。
そして実際、作業療法の評価をすすめていくほどに、その感覚障害が日常生活に大きな支障をきたしていることが明らかになってきたのです。
普段何気なく行っていた動作が思うようにできなくなってしまったことで、Aさんは大きなストレスを感じているようでした。毎日付き添いに来られていた奥さまも、そんなAさんにどう接していいのか分からない様子で、いつもただ黙ってそばに座っておられたのです。
作業療法士としてAさんの奥さまにお願いしたこと
私はある日のリハビリの最中、奥さまに声をかけてみました。
「こんな風に、Aさんの手を動かしてみて頂けますか?」
一瞬、奥さまの顔がパッと明るくなりました。
「はい!」
奥さまは恐る恐るAさんの手を触って、ゆっくり動かしました。
「これでいいですか?」
丁寧に夫の手を扱う奥さまの姿を見て、私はあるお願いをしてみることにしました。
「感覚障害のある方のリハビリにとって大切なことが二つあります。それを奥さまに手伝ってもらいたいのですが…」
「ぜひ…!教えて下さい!」
それを聞いて、私は心の中で「よし!」とガッツポーズ。
私が奥さまにお願いしたことの一つは「手の管理」です。手をぶつけてけがをしたり、無理な動きで関節を痛めたりするリスクが高いので、手の位置に気を付けてもらうこと。
そしてもう一つは、Aさんの手にたくさん触って、皮膚から感じる刺激をたくさん入れてもらうことです。撫でたり、握ったり、動かしたり。奥さまがAさんへの感覚刺激を安全に行えるように、少しずつ一緒に練習していきました。
実は、作業療法士が行うアプローチの中で「ご家族への指導」というのは非常に重要な位置を占めています。
脳出血がもたらす様々な症状とは、今後も長く付き合っていかなくてはならない場合が多いため、退院に向けてご自分の生活を取り戻していく過程で、ご家族やご本人の協力はどうしても不可欠になります。この奥さまならAさんと一緒に真剣にそこに取り組んでくれるだろうという確信のようなものが私にはあったのです。
果たしてその日以降、奥さまは熱心にAさんの手に対するアプローチを続けてくれました。それだけでなく、Aさんの作業療法の時間も毎回一緒に参加してくれるようになりました。
感覚障害に対する訓練というものは、ご本人の集中力をかなり必要とするものがほとんどです。そのため、リハビリ中に疲労感が強く出てしまう場合もあるのですが、奥さまの励ましもあってAさんは根気よく訓練を続け、決してあきらめることはありませんでした。
お二人の頑張りがもたらした結果
そうしたかいあって、Aさんの状況は見違えるように変わっていきました。
まず、手がとてもきれいなのです。傷ひとつなく血色も良いその手は、感覚障害のある側の手に十分な注意を払って、きちんと管理されてきたことを物語っていました。
そして、日常生活の動作についても、道具や方法を工夫することで、お一人で行える場面が増えていきました。それはAさんと奥さまの自信につながり、回復していく過程を楽しんでいるようにも見えました。
「これで、おまえの苦労が一つ減ったね」
一つできることが増えるたびに、奥さまに言われていたAさん。
「これなら、もうすぐ帰れるようになるね!」
いつもAさんの気持ちに寄り添って、支えてこられた奥さま。
お二人が二人三脚で頑張ってこられたからこそ、リハビリの効果が目に見えて現れてきたのだと思います。
その後、さらに動作の安全性と質を高めるべく回復期病棟でのリハビリを経て、無事ご自宅へ退院されたAさん。退院日に夫婦そろってあいさつに来て下さった時の嬉しそうな顔は今でも忘れられません。
ベッドサイドや訓練室での専門的なアプローチだけでなく、ご家族にも日常的なアプローチに協力して頂くことで治療効果も倍増する、ということを改めて実感させられた体験でした。