- 記事の執筆者:久留米リハビリテーション学院 作業療法学科 学科長 岡 大樹
- 記事の監修者:久留米リハビリテーション学院 教務部長 大坪健一
「わしも頑張っているんだから、あんたも頑張れ」
ひでさんは60歳で会社を定年退職しました。
さあ、これからは自由な時間を使ってたくさん遊びに行くぞと、楽しみにしていたある日、突然、意識を失いました。救急車で病院に運ばれ、意識を取り戻しましたが、体の左半分が動かなくなりました。
脳梗塞の後遺症による麻痺を起していたのです。
体が動かなくなったとき、ひでさんはとても落ち込みました。動けないのなら死んだ方がいいとすら思いました。
それでも、病院でリハビリを頑張ったら、杖がなくても歩けるようになりました。着替えやお風呂もひとりでできます。手助けを受ける必要がなくなったので、退院しました。
だけど、家に帰ったひでさんは、空っぽの時間を過ごすようになりました。
家事は奥さんがしてくれるから、ひでさんの出番はありません。
左半身が動かないから、ひでさんが今までしてきた町内の役員はできません。趣味の教室にも通えません。友達に会いにも行けません。
いや、ちょっと気分を切り替えればできるのです。でも、する気にはなりません。
人に会えば、体が動かないひでさんを見た人たちは気を使います。周囲の人に気を使わせたくありませんでした。
週に2回、バスに乗ってひとりで病院に行き、リハビリ室で運動をします。ときどき、診察を受けて帰ります。
ひでさんのすることは、それだけです。
一生、これだけだろうかと、虚しく思っていました。
そんなとき、リハビリ室で、片麻痺患者さんばかりのボランティアグループを作ると知りました。
ひでさんは、グループに入ることに決めました。
ボランティアの参加者は数名でした。皆、片麻痺の人ばかりです。リーダーも麻痺があります。
グループの世話役は作業療法士のなかさんです。「今は、やってもらいたことをわたしが考えますが、皆さんがやりたいことを思いついたら言ってください」と、なかさんは言いました。
ひでさんたちは、デイケアに通うお年寄りが移動するときの道案内や、レクリエーションの手伝いをします。
人あたりのいいひでさんの道案内は好評でした。皆、笑顔を向けてくれます。喜ばれるのがうれしくて、ひでさんはよく笑うようになりました。リハビリにも張り合いが出て、運動を頑張り、歩くのが早くなりました。
そのうち、ひでさんの心の中にむくむくと、もっと皆を喜ばせたいという気持ちがわいてきました。
ひでさんは、なかさんを呼んで言いました。
「わしは昔、足つぼマッサージを習ったんだけど、ここのお年寄りにやってあげてもいいかな」
なかさんは、ひでさんが落ち着いて足つぼマッサージができるように、デイケアの中にひでさんのコーナーを作りました。
ひでさんは、まず、顔なじみになったお年寄りに声をかけました。
最初にマッサージを受けたのは、ぽっちゃりしたお婆さんでした。ひでさんはお婆さんを自分の正面に座らせ、膝の上にお婆さんの足を乗せます。
お婆さんはびっくりして、足を下ろそうとしました。
「足の裏は汚いのに、膝の上に乗せるなんて申し訳ない」
ひでさんは、お婆さんの足をつかみます。
「こうせんと、できん」
足の裏をぐいぐい押してマッサージを始めました。
右手だけのマッサージは難しく、ひでさんがコツをつかむまで数日間かかりました。
間もなく、ひでさんのマッサージは評判になり、ひでさんの周りにはたくさんのお年寄りが集まるようになりました。
ひでさんは、お年寄りの話も聞いてあげます。
年をとると、気持ちが弱くなります。あるお婆さんがひでさんに話しました。
「だんだん体が動かなくなっていく、このまま寝たきりになるくらいなら死にたい」
ひでさんは、お婆さんに笑顔を見せて、強く言いました。
「わしも頑張っているんだから、あんたも頑張れ。体が半分動かなくても、こうして他人にしてやれることがある。あんたはまだ動くじゃないか」
励まされたお婆さんも、笑顔になります。
「そうだね。頑張るよ。ありがとう」
ひでさんは、もともと、誰かのために何かをしてあげたかったのです。体が麻痺して、「もう、できない」とあきらめていました。
リハビリ室が企画したボランティアに参加して、それができるようになったのです。
お年寄りから「ありがとう」と言われるひでさんは、とても嬉しそうでした。