理学療法士 (リオデジャネイロオリンピック全日本フェンシングトレーナー 安藤 憲仁先生) 福岡で理学療法士・作業療法士になるための学校

卒業生インタビュー

理学療法士 (リオデジャネイロオリンピック全日本フェンシングトレーナー 安藤 憲仁先生)

久留米リハビリテーション学院の4期生として卒業された安藤さん。2016年夏に開催されたリオデジャネイロオリンピックのフェンシング日本代表チームでトレーナーとして活躍されました。その安藤さんに、理学療法士を目指したきっかけや夢についてインタビューしました。

●プロフィール

安藤 憲仁(あんどう のりひと)

久留米リハビリテーション学院4期生
 (2010年3月 理学療法学科卒業)
広島県立福山明王台高等学校卒業
公益社団法人 日本フェンシング協会 専任メディカルスタッフ
公益社団法人 日本オリンピック委員会医科学強化スタッフ

「なぜPT(理学療法士)になったのか」 ~私の夢、目標~

4歳から始めたフェンシングに夢中になり18歳の高校時代まで続けた。まだ日本がオリンピックでのメダルもなく、フェンシングの知名度も低くかった。子供の頃の目標はオリンピックで金メダルを取ること。夢中になって練習したが最終的に広島県の国体(少年の部)で代表になるのが精一杯で、オリンピックに出場できるレベルには届かなかった。

高校3年生の時にフェンシング部の後輩が合宿中にACL断裂(前十字靱帯)を受傷した。「何か間違った練習内容をしたのか」、「もう少し練習内容を考えていれば」など様々なことを考えると同時に医学的な知識があったらこのようなことは自分でも防ぐことができたのでは・・・。この事がきっかけとなり、自分がオリンピックで金メダルを取れなくても何かサポートする立場でスタッフとして選手に携わり、結果を求めて取り組んで選手がもし金メダルを取ることができたとしたら、形を変えて自分の目標だったことが達成できるのではと考えるようになった。この事がきっかけとなりサポートへの道を進むことになる。

高校までお世話になっていたトレーナーの先生から理学療法士という資格があることを教えてもらう。理学療法士という言葉さえ知らなく、この職業について詳しく調べていった。数多くあるリハビリの学校の中から、一番環境の良い久留米リハビリテーション学院に進学することを決めた。入学して最初の2週間は予習復習をしっかりまじめに勉強していたが、徐々に遊ぶようになり成績が下がる一方。試験前だけ詰込みでギリギリで進級できるレベルだった。ただその中でとても頑張ったことがあった。1つ目は勉強に関係のない学園祭の企画に携わり頑張った。2つ目はフェンシングのこと。理学療法士になるというきっかけはフェンシングに携わりたいということだったので審判試験を受け、協会の人たちの関わり作っていった。3つ目は英語の勉強。 これは日本語で習った筋肉の名前を英語にして覚えるというものだった。その結果、国家試験前は毎日18時間ほど勉強し、恐怖で夢の中でも勉強している夢を見ていたほどだった。

4卒業後は病院に就職しながらフェンシングに関わる道を探していたが結局就職しないまま地元、広島に帰ることになる。地元の老人施設でPTのバイトをしながらボランティアでフェンシングへの関わりを作って行く日々が続いた。ちょうどその年にパリでフェンシングの世界選手権が行なわれることで、ナショナルチームのトレーナーから自腹にはなるが勉強のため、一緒に行ってみないかと誘いを受ける。この先、ナショナルチームと関われる可能性があること、またパリはフェンシング発祥の国ということも後押しし、この参加はとても大事な意義があると参加を決意する。

その後、大会も終わり3ヶ月を過ぎた頃にナショナルチームのマネージャーからフェンシングスタッフの採用枠があるから来ないかと連絡が入り、国立スポーツ科学センターのフェンシングスタッフの一員として働くことになる。

リオデジャネイロオリンピックでの活動として日本代表チームの医学スタッフに求められることは、その人しかできない特別なスキルやカリスマ性は必要ない。みんなが同じようにスタンダードの事をきちんと出来るかということがとても重要になってくる。私たちはその事をハイスタンダードと呼んでいる。それは、どんな仕事をする上でもとても大事なこと。スタンダードの事が高いレベルでみんなが行なうことができる、これが一番大事だと語る。

オリンピック以外の大会でメディカルスタッフとして選手のサポートをする中で、海外遠征の時はメディカルルームを作り、日本人だけではなくスタッフがいない外国の選手の対応もすることも多くあるという。

またサポートだけではなく、ナショナルチームのロゴのデザインやポスター、プロモーション動画の制作や会場のライティングなどの設営にも関わっていく。チームの専任トレーナーの仕事は一般の医療機関とはかなり違い、選手やスタッフとは年中共に活動しているので家族のような関係。一緒に食事に行ったり、遊びにいったりなどのコミュニケーションを取る時間を大切に過ごすことを心が得ている。(6年間で21カ国の海外遠征で年間8~10回は外国)

PT・OTを目指す皆さんへ

PT・OTになることを目標にしないでほしい。自分がひたすら頑張ったとしても周りが必ず評価してくれるかというとそんなことはない。でもPT・OTの国家試験はきちんとその分野の勉強を正しくして頭に入れば必ず合格する。「PT・OTになること」は夢を実現するための手段にすぎない。これは目標にするものではなく本当に大切なことは、もっともっと先にある。今、漠然と資格を取得することを目標にしているのならば、もっと先に目標設定をしてほしい。資格を取得することは、あくまでもスタートラインに立つことだから、自分が求めるものは何か、本質的な目標は何か、自分の中にある夢を大切にして、夢を目指すことにピュアなままでいてほしい。一生は一度きり、自分が正しいと思う事は恐れずにチャレンジしてもらいたい。

私もまだまだ夢の途中で、まだ夢を実現できたとは思っていない。これからもっと手前の部分で自分が関われることがないか考えている。今まで日本代表を指導していた方や選手として引退された方がよりスポーツの魅力を伝え「スポーツって楽しい」このシンプルな気持ちを大切に世界で活躍できる選手の育成に取り組むプロジェクトを考えていると語った。

最後に今年のナショナルチームの選手の胸にプリントされたメッセージ

Having a dream makes life bright 
“夢を持ち続けることで人生は輝く”

この夢を持ち続けることがとても大事で、常に夢はずっと持っておくもの、もっと先にあるものだと、このフレーズと共に今年1年フェンシングチームは戦ってきた。PT・OTになってその先の目標を持って達成していく皆さんにこの言葉を送った。

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